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シャッター街になるのを食い止める!商店街再生の鍵とは

マーケティング
  • hatena

大型店の出店により、活気のあった商店街も、今は空き店舗の多い、どこか寂しいシャッター街になってしまった。さまざまな取り組みが行われるが、なかなか効果が現れない。
今回は、そんなシャッター街を20年かけて再生に導いた香川の高松丸亀町商店街をご紹介します。

商店街における問題

高松丸亀商店街再開発の出発は、1989年の丸亀町生誕400年でした。そして最初は、商店街を再調査して再生が始まりました。この再調査の結果、1990年、当時の店舗構成は、50%がファッション関連のお店で、飲食店は2%。また、金融機関が多いのも特徴的でした。また、以前あった八百屋や魚屋などが殆ど無くなってしまっていました。商店街は、業種がかたよると、ますます人が住みにくくなってしまうのです。
これは、よくある商店街が衰退していく過程で抱える特徴です。大型ショッピングセンターに食料品の消費がとられてしまいます。中高年のファッション分野以外では、生き残ることが難しくなってしまったのです。このようなことが容易に想定できます。
それでは、高松丸亀町商店がは、どのように再開発していこうとしたのでしょうか。

商店街再生のアイディアを提案

>商店街の再調査をふまえて、再生のためのアイディアが出てきました。そのアイディアとは、「商店街の人たちで、一丸となり”街づくり会社”を作り、その会社が主導して、店の配置を換えたり、足りない業種を補充したり商店街自らがショッピングセンターを作る」といった内容でした。直接的なライバルであるショッピングセンターに対抗することがわかる方針です。街づくり会社は、地主(商店主)さんから土地を借り、テナントに貸し、その地代を商店主(地主)に払うというシステムです。
商店主側は、「新しい商店街で商売を続ける」か「店を廃業して地代で生計を立てる」かの選択肢があるのです。商店街自らが判断して、自分の店を”淘汰(とうた)”するのか、レベルアップを強制するのかを決めたのです。資本主義社会でありながら、日本社会で課題とされている”淘汰”をしっかりプランに組み込んだのです。

但し、課題がありました。

  • 70億円の再開発費用の捻出
  • 商店主たちの借地契約の説得
  • そこで、商店街で、法律・金融・地方自治に詳しい専門家を集めて商店街再生具体策を考案。衣料品店の数を減らし、ジャンルごとに固めて、買い物し易いレイアウトにしたのです。商店主(地主)を集めて再生プランのプレゼンをしたが、反応はさんざんで、猛反発に遭ってしまった、しかし、長い間続けた粘り強い説得をして、徐々に土地を差し出す人が増えてきたのです。
    そして、2003年ついに、銀行からの融資のOKが出たのです。国の補助金の許可もおり、予算の目途がついたのです。こうして、ついに2004年12月 再開発工事着工し、2006年12月 最初のブロックがオープンしました。

    再生の第2段階

    最初のブロックの再開発は、6,000㎡と、ショッピングセンターとしては小さいものでした。つまり、中心市街地再生の第一歩でした。次の段階に入る必要があったのです。そこで進められたのが、「高松丸亀町タウンマネージメント・プログラム構築事業」でした。
    この事業では、商業の事業プログラムのほか、美しい街並みをつくるための「デザインコード」、オリジナル商品の企画制作や市民参加型イベント、アートイベントの実施を検討する「MD戦略プログラム」がありました。

    参考:コミュニティデザイナー 西郷真理子「コミュニティベースト・ディベロップメント-コミュニティに依拠した都市再生:高松丸亀町商店街の試み」

    再生成功:通行量30%アップ・売上3倍に

    こうして、年月をかけて再生プランが進められていきました。地域住人を増やすために、商店街の上にマンションを建築しました。その結果は、2004年は124人だった人口が、2008年には238人にふえました。そして、現在、通行量が30%アップ、売上高は3倍にもなったのです。

    魅力的な都市空間を作り出し、業種の偏りをただすという目標が達成されたことを意味する数字になります。ショッピングセンターが商店街を衰退に追い込むことは、全国で起こって久しいです。この成功には、商店街が普通は越えられないハードルをクリアしていることが大きいと考えられます。土地を差し出し活性化したこと、融資と補助金を獲得し初期投資費用を得ることができたことです。

    まとめ

    今回ご紹介させて頂いた高松丸亀町商店街の事例は一例にしかすぎません。他の商店街で、これと同じことをしても、再生するかは分かりません。1990年というタイミングや工事まで10年以上かかっていることなど、簡単に真似できないからです。
    しかしながら、地方都市の過疎化が進む中で、高松丸亀町商店街の取り組みは、実際に商店街が再生し、都市空間として魅力が増した事実を生みました。この事実は、地方都市の復興、ひいては日本経済の活性化に、大きな示唆と希望、モチベーションを与えてくれていると思います。